「この部屋は明るくて日あたりもいいよ、引っ越してくれてありがとう」(小林写函撮影)
「この部屋は明るくて日あたりもいいよ、引っ越してくれてありがとう」(小林写函撮影)

猫を迎え、日当たりのよい家に越したあの日 愛猫は姿を消し不安と焦りが広がった

 寛明さんと亜李沙さんは、むき出しになった状態の給湯器の裏をのぞいた。壁は打ちっぱなしのコンクリートで埃っぽく、家の中というより「外」の匂いがする場所だった。

 もしやここから外に続く管か何かがあって、その中にサノスケが入り込んでしまい、出られなくなっていたらと妄想が膨らみ、血の気が引いた。

(末尾に写真特集があります)

かわいい愛猫

 寛明さんと亜李沙さん夫妻が、茶トラ猫の「サノスケ」(推定7歳、オス)と暮らして丸4年が経つ。

 迎えたのは2020年3月末だった。結婚を機に猫を飼うことを決め、自宅近くの有志の保護猫会から譲渡してもらった。

 夫婦共働きなので、手のかからない成猫が希望だった。そんな2人にとって、当時推定3歳のサノスケはぴったりの猫だった。家に迎えた初日にケージから出したが、隠れることもなく夜鳴きもせず、すぐに環境になじんだ。性格は穏やかで聞き分けがよく、爪研ぎも決められたところでしかしないし、いたずらや粗相(そそう)もしなかった。

「こんにちは、サノスケです。キッチンには潜り込めるところがいっぱいあるよ」(小林写函撮影)

 甘えん坊で、寛明さんと亜李沙さんの後をどこでもついて回った。いつも2人の顔を見上げながら歩くので、しょっちゅう床に置いてあるものにぶつかるが、懲りずに何度も同じことを繰り返す。「猫って、もっと用心深くて器用な生き物じゃないの」と2人は笑い、サノスケのちょっと鈍くさい行動はいつも場をなごませた。

日当たりのよい家へ

 サノスケを迎えて1年が過ぎた頃、寛明さんと亜李沙さんは引っ越しを考えた。現在のマンションが手狭になったからだが、サノスケのためでもあった。

 住居は2階だが、窓の方角と周囲に住宅が密集しているため、日当たりはよくなかった。陽が差し込むのは午前中の限られた時間のみで、光があたる範囲も狭い。時間とともにどんどん小さくなっていく陽だまりを求め、からだを丸めながら移動していくサノスケの姿を見るのは不憫だった。

 太陽光がたっぷり差し込む部屋を求めて見つけたのは、同じ区内にあるマンションの13階にある物件だった。バルコニーに面した約17畳のリビングは東向きだが遮るものがなく、一日中明るい。きっとサノスケも気に入るだろう。

「カーペットの上はお気に入りさ。みんな、なでに来てよ」(小林写函撮影)

 だが猫は環境に左右されやすい動物という。特に住環境の変化は大きなストレスになるそうだ。また引越し作業による大きな物音や、見知らぬ作業員が出入りすることで物陰に隠れて出てこなくなったり、開け放ったドアから逃走してしまったりすることも考えられる。

 引越し当日は、業者が来る前に、ケージと、キャリーバッグに入れたサノスケを車で新居に運んだ。居室の1室にケージを組み立ててサノスケを入れ、荷物の搬入が終わるまで部屋の扉は閉めていた。サノスケは鳴いたりすることもなく、おとなしくしていた。

 引っ越し業者が帰ると、ケージの扉を開けて「出ておいでー」と声をかけた。最初は鳴いて尻込みしていたが、しばらく放っておくとリビングに現れた。食事も完食、排泄もしたので、よかった、問題ないと安心した。

サノスケの気配がない

 ところが翌朝、リビングに行くとサノスケの姿がなかった。

 前夜、サノスケはリビングで1人で過ごした。いつもは寛明さんと亜李沙さんと一緒にベッドに入るので気にはなったが、そのままにして床についた。

 2人で名前を呼びながら家中を探すが返事がない。最初は、どこかに隠れているだけだろうと軽く考えていたが、10分経っても見つからないと不安と焦りが広がる。

 まさかベランダから外に出たのでは思い、サッシを確認するが、しっかり鍵がかかっていた。それでもベランダに出て、13階から外に出ることはないだろうと思いながらはるか地上を見下ろす。

 散らかるダンボール箱の隙間を丹念に見て周り、クローゼットをはじめ、棚という棚の扉を開けて確認した。だがどこにもサノスケの気配はなかった。

「お父さん、ぼくもうおしっこはひとりでできるよ」(小林写函撮影)

 そうして再びキッチンに入ったとき、奥の扉が少し開いていることに気がついた。扉の奥には給湯器が置かれたスペースがあり、扉と床板をはずしたままにしていることを思い出した。

 昨日は、自分たちで給湯器の開栓作業を行ったが、思いのほか苦戦した。作業を中断し、そのままにして寝たのだった。

 もしやと思い、2人でむき出しになった状態の給湯器の裏をのぞいた。壁は打ちっぱなしのコンクリートで埃っぽく、家の中というより「外」の匂いがする場所だった。

 もしやここから外に続く管か何かがあって、その中にサノスケが入り込んでしまい、出られなくなっていたらと妄想が膨らみ、血の気が引いた。

 そのとき、亜李沙さんは叫んだ。

こんもりとした茶色のかたまり

「洗濯機の下かもしれない!」

 姿が見えないと思って探し回った子猫が洗濯機の下に潜り込んでいた、という話をどこかで読んだことがあったのだ。給湯器があるスペースの前は、洗濯機置き場になっていた。

 からだの大きなサノスケが入り込む隙間はないかもしれないが、万が一と思い、床にはいつくばり洗濯機の下をのぞいた。

 すると洗濯機のちょうど下あたりに、排水管をつなぐための堀のようなスペースがあった。その中に、こんもりとした、見慣れた茶色のかたまりがうずくまっていた。

「サノスケ!こんなところに潜り込んでいたの」

 亜李沙さんはサノスケを引っ張り出した。

 堀は、給湯器スペースの床下とつながっており、扉がはずれていたため入り込んだようだった。どのぐらいの時間ここにいたのだろうか。サノスケは埃まみれだった。

 その姿がかわいいやら、おかしいやら。安堵とともに申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。 

 新しい環境に来て、サノスケはやはり不安だったのだ。 

 数日後、サノスケは、すっかり新居に慣れ、リビングに敷いたカーペットの上で気持ちよさそうに昼寝をするようになった。 

 朝は誰よりも早くベッドから出て1人でリビングに行き、日光浴をしている。

(次回は5月10日公開予定です)

【前の回】「本当にわかっていたのだろうか」 愛猫のことを見つめ直したあの日、転機は訪れた

宮脇灯子
フリーランス編集ライター。出版社で料理書の編集に携わったのち、東京とパリの製菓学校でフランス菓子を学ぶ。現在は製菓やテーブルコーディネート、フラワーデザイン、ワインに関する記事の執筆、書籍の編集を手がける。東京都出身。成城大学文芸学部卒。
著書にsippo人気連載「猫はニャーとは鳴かない」を改題・加筆修正して一冊にまとめた『ハチワレ猫ぽんたと過ごした1114日』(河出書房新社)がある。

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この連載について
あぁ、猫よ! 忘れられないあの日のこと
猫と暮らす人なら誰しもが持っている愛猫とのとっておきのストーリー。その中から特に忘れられないエピソードを拾い上げ、そのできごとが起こった1日に焦点をあてながら、猫と、かかわる家族や周辺の人々とのドラマを描きます。
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