絵本になった黒猫の「にゃん君」(山崎泰子さん提供)
絵本になった黒猫の「にゃん君」(山崎泰子さん提供)

黒猫「にゃん君」と出会い、癒やされ 別れるまでを絵本にした画家

 画家の山崎泰子さんは、2017年春に出会った黒猫の「にゃん君」(オス、当時5歳)を地域の人とともに見守り、在宅時には部屋へ招き入れることもあった。しかし、家猫として飼うことはできなかったため、友人へ託した。別れた後ににゃん君への思いを文章に書きつづり、それに合わせてにゃん君の絵を描いていたところ、1冊にまとめて自費出版することになった。そうしてできた絵本『Mon Chéri モン・シェリ』のおかげで保護猫活動への理解が深まり、支援の輪に加わってもいる。 

「にゃん君」とにゃん君を描いた絵本『Mon Chéri モン・シェリ』(山崎さん提供)

(末尾に写真特集があります)

「友達になりたい」と感じた

 『Mon Chéri モン・シェリ』(以下、モン・シェリ)の冒頭に「その年の春」とある。これは2017年のことで、山崎さんがにゃん君と出会ったのは、東京都東大和市のマンションに越してきて荷解きをし、空になった段ボールの箱をベランダに出した時だった。                          

「子どものころ猫を飼っていたことはありましたが、心の底に動物への恐怖心があったと思います。でもにゃん君に会った時、なぜか『友達になりたい』と感じたのです。ある時、にゃん君がベランダの植木鉢の中に入って寝ていて、なでたら手に顔を近づけてきたので、一気に心の距離が縮まった気がしました」

山崎さんがにゃん君に親しみを覚えた場面(絵本『Mon Chéri モン・シェリ』より)

 山崎さんは黒猫を「にゃん君」と呼び始めたが、地域の人やマンションの住人もそれぞれ思い思いの名を付けて可愛がっていた。周囲の人に聞いたところでは当時、推定5歳。マンションは「ペット禁止」だったので交流する場所は主にベランダだった。一角に木箱を置いて防寒対策をしたり、食べ物をやったりしていた。

 にゃん君は網戸を引っかいて「中に入れて」と訴えるようになり、在宅しているときに限って部屋に入れて一緒に過ごすようになった。当時の山崎さんは心身ともに弱っており、にゃん君の存在は癒やしになったという。絵本にも「君は私だけの特別な“ドクター”にもなってくれた」と書いている。

つらい別れを経験した人が心安らかになってほしい                         

 ある日、マンションの管理者から住人全員のポストに「猫に餌付けをしないように」という注意書きが投げ込まれた。「にゃん君から猫の素晴らしさを教えてもらった」と話す通り、黒猫は山崎さんにとって離れがたい存在になっていたし、同じように思う近隣住民もいたようである。           

「このままの状況を続けていたら殺処分なる危険性がある」と思い、山崎さんはにゃん君の飼い主探しを始めた。知人に声をかけると協力者が見つかり、青梅市に住む友人へ託すことにした。                              

 にゃん君と別れた後、一緒に過ごしていた時に撮影した写真を見てにゃん君の絵を描いた。そして、勧められるまま絵本にして、自費出版したのが2022年9月。好評を得て2020年6月に第2版を増刷した。                

「にゃん君は家族のような存在になっていました。亡くなったわけではないし、ペットとして飼っていたわけでもありませんが、当時の私は“ペットロス”でした。動物との別れを経験した人ばかりではなく、大切な人との別れに心を痛めている人、つらい思いや悲しい思いをしている人が、この絵本を開いて、その時だけでも心安らかになってほしいと祈りながら筆を動かしました」

にゃん君との別れを描いた場面(絵本『Mon Chériモン・シェリ』より)

出会ってから猫も描くように

 山崎さんは島根県安来市出身で、地元の高校を卒業して上京し、専門学校に進んでデッサンや水彩画を学んだ。その後、家庭環境の変化や病気などを経て30代半ばから画家としての活動を始めた。1995年に現代童画展の入選をきっかけに本格的に創作活動を展開し、同展に出した作品が美術専門家の目に留まり、当時のフランス画壇で中心的な役割を果たしたポール・アンビーユ画伯に師事する縁を得た。山崎さんは20年ほど前の5年間、毎年1カ月ほどフランスに滞在して指導を受け、毎年個展を開催し、国内外で作品を発表し入選もしている。

 絵を学び始めたころは花や風景をメーンにしていたが、にゃん君と出会ってからは猫も描くようになった。また、保護猫に関する知識がほとんどなかったが、野良猫の過酷な生活を知り、「自分ができることはやっていきたい」と思い、身近な支援団体と関わるようになった。                                                        

 にゃん君と別れた後、メスの黒猫がベランダへ遊びに来るようになり、その猫を追って、どこからか5匹の子猫が現れた。親猫はどこかに行ってしまったので地元の「東大和にゃんこの里」というボランティア団体と一緒に飼い主を探した。

 また、絵本『モン・シェリ』を出したことがもたらした縁もあった。売り上げの一部を保護猫活動に充てている猫本専門店「Cat’s Meow Books(キャッツミャウブックス/東京都世田谷区)」や、「書肆 吾輩堂(福岡県福岡市)」「necoya books(ネコヤブックス/東京都立川市)」「姉川書店 にゃんこ堂/東京都千代田区)」、故郷の島根県安来市にある児童書専門店「子どもの本 つ~ぼ」などに本が置かれた。知人で、父が日本人、母がフランス人の30代の男性が、翻訳を申し出てくれた。山崎さんは仏語訳のサンプル本を3部制作し、その男性に渡したそうだ。          

仏語訳版のサンプル本『Mon Chéri』(山崎さん提供)

「にゃん君が幸せでいてくれればいい」

 絵本のタイトルの「モン・シェリ」は「わたしのいとしい人」という意味である。山崎さんは、にゃん君と出会う以前も「小さな命を大切にしたい」いう思いから、風景や花だけでなくてんとう虫やチョウなども描くようにしていた。にゃん君と出会ってからは、小さな命の象徴としてさまざまな種類の猫を描いている。      

「命の序列の中で無意識にでも『人間が上』という考え方があるとしたら、悲しい思いをする動物が増えてしまうように思います。命に序列はないと私は思います。にゃん君を通じて動物をいつくしみ、そのための自分の役目があるように感じています」

 愛するにゃん君は今、どうしているのだろうか。山崎さんは手放してからも何度か青梅市に住む友人宅に会いに行っている。友人の家族に大切にしてもらい、他の3匹の保護猫達とも一緒に楽しく暮らしているそうだ。

「以前のように甘えてくれることはなく少しさみしいですが、それは今の環境がにゃん君にとって幸せだということ。にゃん君が幸せでいることがうれしい。心は今も通じていると思っています。にゃん君という1匹の猫との出会いが、猫や犬、動物や植物は感情や心が豊かな能力を持ち、人間を支えてくれている存在だということを教えてくれました」

 にゃん君と過ごした思い出は、絵本を開くと今も鮮明によみがえる。

植木鉢の中に入ったにゃん君(山崎さん提供)

若林朋子
1971年富山市生まれ、同市在住。93年北陸に拠点を置く新聞社へ入社、90年代はスポーツ、2000年代以降は教育・医療を担当、12年退社。現在はフリーランスの記者として雑誌・書籍・広報誌、ネット媒体の「telling,」「AERA dot.」「Yahoo!個人」などに執筆。「猫の不妊手術推進の会」(富山市)から受託した保護猫3匹(とら、さくら、くま)と暮らす。

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