[シッポ] 犬や猫ともっと幸せに

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グランプリ

りおの写真

親愛なるりお様

私の背後でおなかを出して、すぴすぴ寝ているあなたの寝顔をチラチラと振り返りながら、久しぶりに手紙というものをしたためています。せっかくなので、普段あなたに聞いてみたいと思っていたことを尋ねてみようと思います。

まず……どうしたら抱っこを好きになってくれますか?ナデナデは大好きで、ちっちゃな頭をグリグリ押し付けたり、仕事中にキーボードの上にドカッとおなかを見せて寝転がったりするくせに、抱っこするとすぐにイヤイヤするあなた。

誇り高き三毛猫として、デレデレばっかりせずにツンなところも見せなきゃ、って思っているのかもしれませんね。ならば仕方ありません。ちょっとさみしいですが、その意思は尊重しましょう。

また、深夜に寝ている私の顔をフンフンと嗅ぎにくるのはなぜですか?夢うつつでいつもあなたの「フンフン」という鼻の音と共に、私の口や鼻にくすぐったさを感じるのですが、これは生存確認でしょうか?それならキャットタワーの上じゃなく、最初からそばで一緒に寝てくれたらいいのに……チビの私がわざわざ広いセミダブルベッドで寝ているのは、四方八方あなたがどこで寝ても大丈夫なようになのですよ。

でも、私が具合が悪くて一日中寝ていた時は、あなたもずっとそばにいてくれて、私の鼻の頭をペロペロなめてさえくれました。今まで一度もなめてもらったことがなかったので、あなたの優しさに包まれて、ザリザリ痛くても天にも昇る心地でした。

元気になったらすっかりなめてくれなくなり、具合の悪いふりをしてもつれなく見透かされてしまいますが、あなたに心配かけないように元気でいますね。

ところで、自分では一番のチャームポイントはどこだと思っていますか?ごまときな粉をまぶしたおはぎのような三毛柄でしょうか。ぽちっと茶色いお鼻でしょうか。微妙に短い手脚でしょうか。いまだに名前を覚えず、いつもテレビ電話であなたに「おい、猫」と呼びかける実家の父が、それでも毎回ほめてやまないこぼれそうなほど大きくパッチリしたおめめでしょうか。何か催促する時に私をペンペン叩く、そのしなやかに伸びたしっぽでしょうか。たくさんありすぎて私には決められないのです。きっとあなたはしれっと「ぜんぶ」って答えるのでしょうけど。

さて、とりとめなく書き連ねてしまいました。でも、一番聞きたいことは……あなたはうちに来て楽しく幸せに過ごせていますか?

あなたと出会ったのは初めて訪れた保護猫カフェでした。混雑していて所在なげに腰掛けた長椅子の隅で寝ていたのがあなたでした。

よく寝ているので近づいて良いものか遠慮していたのですが、あなたは薄目を開けてこちらを見るとトコトコとやって来ました。緊張する私をよそにピタッと体をくっつけると、するんと丸くなり、またスヤスヤと寝てしまいました。そこでひざには乗ってこないところがいかにもあなたらしいのですが……とにかくこの時、私の心の真ん中にもあなたがストンと腰を下ろしたのです。運命なんて言うと大げさかもしれませんが、あなたも私に何か縁を感じてくれたのかな、と勝手に思っています。

猫と暮らすのは初めてで至らぬ私ですが、あなたと家族になれて毎日本当に幸せです。同じように幸せを感じてもらえるよう、これからも遠慮なくあなたのワガママで振り回してくださいね。

あなたの下僕より、愛を込めて。

追伸、気位高い女の子に大変言いづらいのですが……最近、ちょっと太りましたよね……?おやつはすこーし控えましょうね。

入賞

大福の写真

世界で一番大好きな大福へ

「おはよう。今日も世界で一番大好き。今日もこれだけ覚えておいてね」

毎朝この言葉で私の一日が始まるようになって4年。最初は「この人何言うてんの?」という顔をしていたのに、今は「ハイハイそれ毎日言うてますね」と言いたげな顔をして二度寝する大福。

仕事に行く時は「お留守番ありがとう。大福大好き」と伝えて仕事に向かう私を、見送るでもなく三度寝する大福。

帰宅後は「お利口に待っててくれてありがとう。大福大好き」と伝えている途中で、靴を脱ぐ私を待たず、さっさと部屋に入って「外が気になるから早く窓を開けて欲しいねんけど」と窓際でスタンバイする大福。

夜は「今日も楽しい1日をありがとう。明日も世界で一番大好き。いい夢見てね」と言うてる途中でフゴフゴと白眼をむいて即、寝てしまう大福。

大福が家に来てくれて4年、私はたくさんの「ありがとう」と「大好き」を君に伝えてきたけれど、君は毎日変わらず塩対応ですね。触られるのもあまり好きじゃないし、気持ちは伝わってないのかな?と思うこともあったけど、私がテレビを見ている時、洗濯物を干している時、お風呂掃除をしている時、君はさりげなく私の視界に入ってきて目が合えば、遠慮がちにシッポを数回振ってくれることを、私は知っています。これは「僕も大好きです」と言ってくれていると思ってもいいですか?

もし大福が一つだけ質問に答えてくれるなら「私のことも世界で一番好き?」と聞いてみたいけど、塩対応な君は間違いなくこう答えるでしょう。「世界で一番好きなのは歯磨きガムです」と。そう答えたとしても、私は世界で一番大福が大好きだということを、今日も覚えておいてね、大福。

オハナの写真

オハナへ

いつもそばにいてくれてありがとう。

「オハナ」という猫は君で二代目だ。今から12年前、ペットショップで見つけた猫に「黒っぽいからオハギにしよう」とおやじが言ってさ。それに猛反対した妹が「オハギにするくらいなら、オハナの方がいい」って言ったんだ。すごくすごく可愛い猫だったよ。庭に咲いたローズマリーが大好きでさ。よくその周りを走ってたよ。カモミールの白い花も大好きだったかな。「オハナ」って名前にピッタリだったよ。

だけど10年前。あの震災で初代オハナは死んだんだ。高台に避難したおやじも家に残したオハナを思い出し、僕が止めるのを振り切って自宅へ戻った。そのまま10年経った今も、おやじの行方は分かっていない。おやじを探しに行った妹も。

あれから僕はひとりぼっちになった。どれだけ後悔したかわからない。自分がオハナを助けに行ってたらって、何度も思った。だけどいくら悔やんでも、この世に家族はもういない。いないんだ。そんな事実がどうしようもなくここにある。だけど僕は君に出会った。

駅前のペットショップで初めて君に会ったとき、君は隅っこで震えていた。聞けば君は母親にいじめられていたんだね。君はそれ以来『人間不信』になってしまったんだ。母親と離れ、他の猫たちといても、心はいつもひとりぼっち。そんな君の家族になりたいと心から思ったよ。

だけどウチに来ても君はずっとおびえていた。僕を『母親』だと思ったのだろうか。いつも伏し目がちで遠くから僕を見る。ぶたれるんじゃないか。そんなことを考えているような目つきだった。

だからしばらくは食事も別にした。「ごはんだぞ」って言っても君はすぐには来ない。僕がいなくなったのを見計らって食べに来る。散歩に行くときもそう。いつだって僕のだいぶ後ろを歩く。僕が止まると止まるし。ペースを落とすと君もそうする。それを見て何だか寂しかったよ。心の距離がひらいてるみたいでさ。

でも事件が起きたんだ。真夜中にカタカタと食器棚が揺れる音。地震だった。それはもう怖かった。家具が揺れて、逃げる気持ちまでも大きく揺れる。いまここを出ても大丈夫だろうか。すぐにまた大きな揺れが来るのではないか。そんなことを考えて僕は何もできなかった。

すると君が飛びついてきたんだ。いつも遠くから僕を見ていた君が。僕は君を抱きしめたよ。いいか。僕がいるから大丈夫だよ。僕がいるから心配するなって。君はブルブル震えながら、僕の腕の中にうずくまった。こんなにくっついたのは初めてだった。こんなに懐かれたのも。

もしかしたらおやじもオハナを助けに行って、同じことをしてたんじゃないかな。津波に飲み込まれてもオハナを抱いていたような気がする。もちろん僕らは血がつながってないよ。所詮、人間とペットさ。会話だってできないし、言葉も通じないよ。でも君が僕に飛びついてきた時、僕らはちゃんと心がつながってるんだって思った。君が「助けて」と強く思うように、僕も「助けたい」って強く思ったんだ。

あの日以来、僕らは変わった。僕が布団の中で泣いていると君も布団に潜り込む。TVを見て笑っていると君も興奮する。笑顔も、涙も、分かち合える。そんな存在ができて、今は、少しだけ前を向ける気がするんだ。

最後に。君の名前、オハギにしなくてよかったよ。だってオハナはハワイの言葉で、家族。これからも家族の一員として、よろしくね。

にゃんこ先生の写真

にゃんこ先生、愛してるよ。だからもう少し長生きしてね。

子供の時から猫が大大大好きだったけど、団地住まいで飼えなかった私。29歳で結婚してからもマンション暮らしだから飼えなかった。32歳で離婚して人生2回目の一人暮らしのアパートはたまたま猫飼育可能物件だったけど、その頃は自分の生活にいっぱいいっぱいで、猫のことなど考える余裕すらなかった。

やがて生活も落ち着いてきて、近所のペットショップに猫を見に行った。狙いはアメショーだ。性格も穏やかで甘えん坊。でも値段を見ると30万はする。とても飼えないや。それでも諦めきれなくて毎日ペットショップに通っていた。

その頃私は、とある社会人バドミントンサークルの代表を務めていた。ある日、その中の一人の男性メンバーから、とても可愛い三毛猫の子猫の写真が送られてきた。なんと、彼の会社の敷地内で産まれた野良猫で、社内で引き取り先を募集していたそうだ。彼は真っ先に私のことが浮かんだらしい。私はその場で飼うことを決めた。

その日の夜、段ボールに入っていた子猫は猫ではなく、まるでネズミのように手のひらに乗るぐらいの小ささで、まだ目も開いていなかった。はああ、可愛い。それから私の育児(育猫)生活が始まった。ミルクをあげたりトイレの世話をしたり。

私のことを母親だと思っているのか、トイレにもお風呂にもついてくる。姿が見えなくなると心配になる。あまりにも小さいので、私が踏んづけてしまわないかも心配になる。ある日、台所のフキンをキッチンハイターにつけたまま、出勤してしまった。間違えてその水を飲んでしまったらどうしようと気が気でなくて、その日は会社を早退した。

本当に可愛くて、仕方ない。私の心の支え。そうそう、なぜ名前が『にゃんこ先生』なのかは、子供のころに放映されていたアニメからぱくりました。猫を飼うなら名前はそうと決めていた。インパクトのある名前。動物病院でも名前を呼ばれるとき、ちょっとだけうれしいし、すぐ覚えてもらえる。

性格はご存じ、ザ・三毛猫だ。キツいキツい、ツンデレ。名前を呼んでも来ない。ましてやひざの上に乗って甘えてくるなんてあり得ない。寝る時も布団には入らず、足元にちょこんといるだけだ。抱っこもあまりさせてくれない。

でもそれがいい。その距離感で良いのだ。だって相手は『にゃんこ先生』私は『下僕』だから。でも母親でもある。しつけも大事だ。まあ、お世話させていただいています。

やがて『にゃんこ先生』が6歳のお誕生日を迎えた頃、彼女にお父さんができる。そのお父さんとは、そう、にゃんこ先生を連れてきたバドミントンサークルの彼である。

私はその彼と交際を始めた。あとから聞いた話だが、彼は私のことが最初から気になっていたようだが、話しかけるきっかけがなく、そんな時に偶然にゃんこ先生との出会いが私と縁をつなげてくれたようなのだ。

これには本当に驚いた。まさしく猫がキューピッドになった、らしい。2年の交際期間を経て、私たちは3人家族になり、彼の実家近くに念願の新居を建てて暮らし始めた。

彼もにゃんこ先生にメロメロだ。いつも帰宅が遅い彼は私が先に寝ていてもにゃんこ先生だけは起きて待っていてくれるのがうれしいらしい。だから夜食と称してついつい餌をやる。夕飯をあげたあと、21時ごろに夜食を食べるからまあまあ太ってしまう。でも猫は痩せている猫よりそこそこ丸いくらいが可愛いので、これはこれでよしとしよう。

あれから15年。にゃんこ先生は人間でいうと、77歳になった。実は今年に入り、乳がんが見つかってしまい今は闘病中だ。まだ食欲もあり元気だけど、いつかはお別れがくる。考えたくない。どうか1日でも長生きしてね。愛してる。

コタロウの写真

なあ、コタロウ。お前は何でも私のマネをするんだな。私が寝ていると同じ格好で寝るし、けんかして父を無視していると、お前も父を無視する。トイレに行けばお前もついてくるし、私が休みの日はお前もダラダラしている。テレパシーだろうか。ただのミラー現象だろうか。私はお前と見えない糸でつながっているみたいだ。

だけどこんなに早く病気になることだけはマネしないで欲しい。実を言うと私は昨年、筋ジストロフィーと診断された。これは身体中の筋肉が徐々に固まっていく病気で、現在難病に指定されている。この病気に効果的な治療法はなく、一般的に親より先に亡くなるケースが多い。2、3年後には歩けなくなり、最後は自力で息を吸うこともできなくなる。考えただけでも怖いだろ。お前もそう思わないか。

私が病気に気づいたのはお前を散歩していた時だった。段差もない所で、急に転んだ。立ち上がっても、また転ぶ。何度転んだかわからない。「おかしい」と思った時には、もはや立ち上がることすらできなかった。そんな私を見て、案の定、お前もマネをしたんだ。転んだ時のしかめっ面。ふらつく時の弱々しい足どり。どれもこれも私のマネだ。「誰か助けて」と叫んだ時の遠ぼえも、私のマネだろうか。何だか悲しくて仕方なかったよ。

やがて私は「死」を考えるようになった。このまま不自由な身体で生きているくらいなら人生を終わらせてやりたいって本気で思ったよ。だってトイレにも一人じゃ行けないんだ。車椅子の身体ではお前を公園に連れて行くことも、一緒に走ることもできない。せっかくかなえた夢だって2年で絶たれた。悔しくて、悲しくて、やるせない。だからこの前こっそり死のうとしたんだ。

リビングからキッチンに向かおうとしたらお前もついて来たよ。杖を滑らせて転んだら、やっぱり、お前も転んでさ。床にはいつくばって進めば、もちろんお前も床にはいつくばってたよ。お前は死ななくていいんだ。こんなことはマネするなよ。私はそう言いながら、必死に、キッチンの包丁に手を伸ばしたんだ。

その時だ。お前が私の手にかみついた。それはまるで「死ぬな」と言うかのように。もちろんかまれた手はすごく痛かったよ。血も出たし、歯型もしっかりついた。でもお前の真っすぐな気持ちがすごくうれしかった。こんな私でも必要としてくれるなら、生きていることはちょっと苦しいけど、悪くないかもしれない。

なあ、コタロウ。今はお前が私のマネをしていた理由が何となくわかったよ。苦しみを分かち合おうとしていたんだよな。何度も転び、あちこちに身体をぶつけながら、お前も、きっと、苦しんでいたんだな。そして死のうとした時にかみついたお前は「それでも生きていて欲しい」と言ってくれたんだよな。不自由はあっても、それを超える幸せがあることを、お前は身をもって証明してくれたんだ。

この先もお前はきっと私のマネをし続けるだろう。寝たきりになって天井を見上げる生活を、きっと、お前もマネをするだろう。でも今はお前のために少しでも前向きな自分でいたいと思うよ。だから今、リハビリを始めたんだ。もちろんこんなことをしても病気は治らないし、いつかは寝たきりになる。それでも前向きな姿をお前にはマネして欲しいと思う。転んだ分だけ立ち上がる強い気持ちを、ね。

今はお前のおかげで生きてるよ。お前のために生きてるよ。死ぬほどつらいけど、死ぬほど生きたいと思えるよ。ありがとう、コタロウ。そして、愛してる。

銀の写真

推定21歳の銀さま

ある日、ボランティアさんのブログで「14歳で動物愛護センターに入った猫がいる」という記事を見て、なぜかわからないが、「この子だ」と思い、引き取りを決めました。

あと数年しか一緒にいられないことを重々覚悟しました。痩せこけて、ぶかぶかの毛皮コートを着たような銀を引き取り、気難しいお姫様ぶりに手を焼きながらも世話をするうち、みるみる体格がよくなっていき、2.4キロしかなかった体重は、4キロを超えました。

すばらしいハンターで、捕まえた獲物は、ゴキブリ、ヤモリ、クモ、スズメ、スズメバチなど数知れず。先住猫を含む3匹の歴代の猫たちと、派手な喧嘩をしては、全て圧勝。そして、誰よりも長生きでした。

銀が来て、今年で7年がたちました。いまだにあっちこっち、どたばたぴょんぴょん走り回っています。

銀、あなたは本当に21歳ですか。お母さんは、疑っています。引き取った時の年齢が間違っていたのではないのかと。でも、間違っていたとしても、うれしい間違いです。

お母さんは、銀のことをあまり知りません。どこの誰からうまれたか。お母さんの家に来るまでどんな猫生を歩んできたか。そして本当は、何歳なのか。銀も、もう忘れたかな。銀に身の上を聞けないのが残念ですが、引き取ってから、お母さんと一緒にいる銀が、お母さんにとっての真実の銀です。

年齢不詳の銀は、あと何年生きるかもわからない。お母さんはいつまでも、お姫様のしもべとしてお仕えしていきますよ。

クロミの写真

親愛なるクロミへ

少し照れくさいけれど、あなたとの奇跡的な出会いを言葉にしてみたいと思います。

あなたと初めて出会ったのは、2018年9月半ばの夕方。黒猫母さんに連れられて、家の裏の塀の上を歩いていました。先住のミニブタ「どんぐり」と散歩をしていた私は、思わず「可愛い猫さんたち、こんにちは!」と声をかけて、少しのパンを目の前に置きました。きょとんとしたふたりの顔を、今でもハッキリと覚えています。

この日から数回、親子で一緒に遊びに来てくれたよね。そして、いつからだろう、小さなあなたがひとりで遊びに来始めたのは……。毎日、夕方5時半きっかりに、勝手口の前にちょこんと座り、小首をかしげて、「おばちゃん、遊ぼう」と、ニャーンとひと鳴き。その姿が、何とも言えず可愛かったなぁ。

目の前でごはんを食べているから、触ろうと手を伸ばすと、最初は、サッと身を引いていたっけ。思い付いて買ったスリッカーブラシで体をなでると、余程気持ち良かったのか、次の日からは、ごはんの前に、まず、ブラッシングをしたね。ねだるように足元にすり寄り、気付いたら、抱っこまで出来るようになっていました。その頃には、あなたが可愛くて可愛くて、小一時間遊んだ後、バイバイって言うのがつらかったです。

これは、初めて話します。会いたい気持ちとつらい気持ちが交錯して、いっそのこと、会わない方が良いのではないかと考え始めました。あなたの通り道に、猫の嫌いな水やみかんの皮をまきました。でも、あなたは難無くくぐり抜け、「おばちゃん、今日は道がぬれていたよ」と言わんばかりに、ニャーンと勝手口で鳴いたよね。

次の手段は、居留守。あなたの来る時間から20時頃まで、部屋の明かりを点けず、息をひそめて過ごしました。「ああ、これで今日は会わずに済んだ」と安堵(あんど)して、明かりをつけた途端、外からニャーン!「おばちゃん、今日は遅かったね!」激しく後悔して泣きました。あなたの純真さが、切なかった……。

あなたが通い始めて、2カ月になろうかという頃、夜中にも来る様になり、近所の人に聞いて、寝場所が無くなり、黒猫母さんともはぐれたことを知りました。その上、もうすぐ寒い冬が来る。

その小さな体で、越冬出来るか心配だったのに、私は、あなたを迎え入れる決心がつきませんでした。言い訳だけど、私は、猫と暮らした経験が無く不安だったことと、ミニブタのどんぐりと仲良く出来るか心配だったから。

頭の中が、あなたのことでいっぱいで、毎日悩んでいる私を見かねた娘の千芳(ちか)が、「私の部屋を猫部屋にして、保護しよう」と言ってくれて、悩みが希望に変わりました。猫の飼育本を買い、勉強し、必要な物を買いそろえて待ちました。そして、あなたがいつも通りに来たので、抱いて家に入りました。2018年11月26日。あなたが、家族になった日。そして、私が、『おばちゃん』から『お母さん』になった日です。

翌日、病院で、3、4カ月の女の子と分かり、先生に「名前はどうしますか?」と聞かれ、とっさに、「黒くて可愛いから、クロミにします」と答えました。『あなた』から『クロミ』になった瞬間だね。

クロミが来てくれて、毎日が楽しくて幸せです。昨年、野良だったバルフィを悩まず保護出来たのも、猫好きのお友達がたくさん出来たのも、全てクロミのお陰です。ありがとう。私の人生観が、大きく変化しました。

これから先も、ずっとずっと、家族みんなで幸せに過ごして行こうね。そして、今思うのは、黒猫母さんは、私を信じて、認めてくれていたのかな……と。小さなクロミを、私に託してくれて、ありがとうございました。今もどこかで見守ってくれていますように。お母さんより