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episode.5

浮世絵に描かれた猫たちの姿、猫を愛した文豪たち 東京キャットヒストリーと今

2022.11.30

昨今は犬の推計飼育頭数を上回って人気の猫。その歴史は古く、歌川国芳をはじめとした浮世絵師や、大佛次郎などの文豪たちからも愛された猫は、作品にも数多く残ります。江戸から東京、猫たちのヒストリーをたどってみると、人々と猫との関わりが見えてきます。

浮世絵から読み取る、猫と人との関わり

一般大衆に向けた娯楽品として江戸の町で大流行した浮世絵には、実にさまざまな猫の姿が描かれています。当時、火付け役となったのは大の猫好きとして知られる浮世絵師・歌川国芳(1797~1861)。実際に何匹もの猫を飼い、着物の懐に猫をすっぽりと入れて浮世絵を描いていたという逸話もある人物です。そして風俗を描く浮世絵からは、猫がどのように江戸の人々に親しまれていたのかを知ることができます。

「江戸時代、猫は人々の生活に役立つ益獣としての役割があり、その一番がネズミよけでした。多くは養蚕(ようさん)の村で、蚕(かいこ)の幼虫をネズミから守るために役立っていたといわれていますが、人の食べ物を食い荒らすネズミを駆除してくれるため、江戸の町でもその役割を果たしていました」

そう話すのは、東京・原宿にある浮世絵専門の私立美術館「太田記念美術館」にて主席学芸員を務める日野原健司さん。猫がネズミを駆除する役割を担っていたことは、江戸の町で多く出回っていた、ネズミよけの猫の絵にも表れています。ネズミよけの絵は、それを貼ることでネズミが寄り付かないとされ、人々に求められていました。専門に売る行商があったほどで、それだけ猫は人々にとって役立つ存在だったのです。

歌川国芳『鼠よけの猫』。ネズミ除けのために描かれた猫の浮世絵(出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp

また、実用的な面だけでなく、ペットとしてかわいがられていた猫の姿も、浮世絵に多く描かれています。

「狆(ちん)という小型犬は室内で大切に育てられていましたが、江戸時代、犬の多くは自由に歩き回り、地域全体で世話するような半野良(町犬)が大半でした。しかし猫はというと、野良猫の姿はあまり浮世絵に描かれていません。それよりは、室内で、女性と一緒にいる赤い首輪をつけた猫の様子が頻繁に描かれていました」(日野原さん)

歌川国芳『山海愛度図会 ヲゝいたい』(出典:国立国会図書館ウェブサイト)

歌川国芳による『山海愛度図会 ヲゝいたい』は、猫を抱く女性が描かれた浮世絵です。タイトルの「ヲゝいたい」は「(猫にひっかかれるなどして)痛い」を意味していますが、描かれた女性は嫌がっているふうでもなく、大切にしている愛猫とのほほ笑ましい日常の一コマに見てとれます。

さらに面白いのが、猫をキャラクター化した浮世絵です。当時、人気歌舞伎役者を猫の姿におきかえた浮世絵が大流行したことがありました。それぞれ個性的であくの強い顔をしていて、町人たちは一目でそれが誰だかわかったといいます。同じような作品は他にも多数あり、人を擬猫化するというユーモアあるイラストは大人気だったのです。

芸者猫に船頭猫、客の猫。両国橋を背景に描いたユーモアのあるうちわの絵。歌川国芳「猫のすゞみ」(出典:ColBase https://colbase.nich.go.jp

とはいえ猫は、「化け猫」と揶揄(やゆ)され、人間の心にそぐわない、妖怪じみた生き物としての捉えられ方もありました。しっぽが二つに分かれ、2本足で歩くようになるとされる「猫又」も、妖怪の一種として描かれています。ただ、江戸時代には妖怪もある種の娯楽になっていたとも考えられています。

「妖怪というのは、そもそも説明できない奇妙な現象や不安を表すものとして生まれました。古い時代であるほど恐怖や不安の意味合いが強いと思われますが、江戸時代には合理的な考え方も増えてきて、当時の歌舞伎でも、妖怪は退治されるキャラクターとして存在していたように思います。歌川国芳が描く猫又もやはりどこかかわいらしく、子どもから大人まで、好意的に受け取られていたのではないでしょうか」(日野原さん)

猫の描かれ方は実にバリエーションが多く、江戸時代、さまざまな面から猫は必要とされ、親しまれていたことがわかります。この点を別の視点から見ると、「猫が日本の文化創成に貢献した」ともとれると日野原さんはいいます。

「世界では、ルネサンスがまさにそうであるように、文化というのは、一般的に貴族など権力とお金があるところに集約されることが多いです。でも日本は、浮世絵や歌舞伎など、昔から大衆が文化を先導するという側面が強くありました。江戸時代の猫の在り方は、まさに現代のキャラクター文化や漫画の走りといえます。昔から、猫は人を引き付ける不思議な魅力を持っているのだと感じられますね」(日野原さん)

猫を愛する文豪たちに見る、猫をとりまく環境の変化

明治時代になると、庶民は徐々に浮世絵から離れていきました。それに並行するように、猫たちの舞台は浮世絵から小説へと移行していきます。猫に強く心を引かれる文豪が登場しはじめたのです。

猫を愛する文豪たちの小説や随筆には、度々猫が登場します。1905(明治38)年から翌年にかけて雑誌『ホトトギス』で連載された、猫の視点で人間模様を描いた夏目漱石(1867~1916)による『吾輩は猫である』は有名ですが、文豪自らが猫を愛し、今も残る作品も多くあります。

夏目漱石を師とした内田百閒(1889~1971)は猫好きで知られ、行方不明となった愛猫への悲痛な思いを『ノラや』(1957年)でつづりました。飼っていた猫「ペル」を死後も剥製(はくせい)にしてそばに置いたという谷崎潤一郎(1886~1965)は、随筆『当世鹿もどき』(1961年発行)に『猫と犬』を収録しています。そうした猫好きとして知られる文豪たちの中で、よりいっそうの愛猫家として名をはせるのが大佛次郎(1897~1973)です。

大佛次郎は、猫の随筆だけで60編にのぼる作品を書いています。そして、50年にわたって執筆した猫に関する彼のエッセーや童話を収録した『猫のいる日々』(1978年発行)の中には、彼にとって猫は、ペット以上に“家族”であったことがうかがえる一文があります。

——猫は僕の趣味ではない。いつの間にか生活になくてはならない優しい伴侶になっているのだ——(『猫のいる日々』より抜粋)

大佛次郎と愛猫たち(提供:大佛次郎記念館)

「猫のアンソロジーに名前があることで、内田百閒や谷崎潤一郎などは猫好きに感じられますが、実際に猫をたくさん飼って、猫についてたくさん書いているのは大佛次郎です。生涯500匹以上の猫と暮らしたといわれており、また猫だけを一冊にまとめた本は、『猫のいる日々』がはじめてだったのではないでしょうか」

そう話すのは、芥川賞や谷崎潤一郎賞、川端康成文学賞など数々の受賞歴を持つ小説家・保坂和志さん。保坂さんもまた、生粋の愛猫家であり、2003年に発行した『猫に時間の流れる』を皮切りに、何冊もの猫にまつわる小説や絵本、エッセーを執筆。2018年には、18年8カ月をともに生きた片目の猫「花ちゃん」との出会いから闘病、そして別れまでを書いた『ハレルヤ』を上梓しています。

愛猫「ペチャ」を抱いた肖像を採用した『猫に時間の流れる』(中央公論新社)と、四つのエッセーを収録した『ハレルヤ』(新潮社)

保坂さんと猫との出会いは1987(昭和62)年のこと。高田馬場で拾った猫を「ペチャ」と名付け、家に迎えました。その頃、猫をめぐる環境は今と全然違っていたといいます。

「不動産屋で猫を飼っているなんて一言でもいったら、部屋を紹介してくれないような時代に、まず猫と暮らせる住まい探しからはじまりました。当時にしては珍しく動物を飼える物件があったため、それで世田谷に移り住んだのです。キャットフードもどこにでも売っているわけではなく、町に1軒くらいあるペットショップかデパートの屋上近くにある店まで買いにいっていました」

世田谷では、賃貸マンションと借家を経て、1999年に静かな路地に面した土地に家を建てます。現在の住まいでもあるその場所で暮らし始めて1年くらいが経った頃、1匹の猫が保坂さんの家に迷い込んできました。隣家の人とその猫を保護し、ゴハンをあげるようになるとさらに猫が集まってくるように。室内飼育をしていたペチャと「ジジ」、「チャーちゃん」、「花ちゃん」という歴代4匹の他に、一番多い時で13匹の猫が保坂さん宅の敷地に集まってきていたといいます。

「それが2000年代の初頭。その頃には『地域猫』という言葉が聞かれるようになっていて、地域で猫を管理しようという風潮が出てきていました。インターネットの普及とともにブログが生まれ、愛猫家はブログをはじめるのも早かった。そうしたところからも情報は広がっていき、90年代に聞かれはじめた地域猫という言葉は、2000年以降だんだんと浸透していったように感じます。僕も、知り合った猫の保護活動をされている方と連絡をとりながら、捕獲器を用意し、13匹すべての猫に避妊去勢手術を施しました」

1999年撮影。谷中の墓地にいたところを保護した花ちゃん(左)と、遊んであげている先住猫のペチャ。ペチャは子猫好きだったそう(提供:保坂和志さん)

今でこそ、野良猫を捕獲して避妊去勢手術を施し、もといた場所に戻して管理する「地域猫TNR」、また地域猫であることの印に耳の先をカットした「さくら猫」という言葉も定着していますが、保坂さんは初期の頃からその現場に身を置いてきました。猫をとりまく時代の流れと変化をこれまで見てきて、それでも「猫との関わり方は何も変わらない」と保坂さんはいいます。

「どういうふうに関わり生活しているのかって聞かれると困ってしまう。そこに猫がいて、ただ普通に、一緒に生活をしているのです。猫だろうと犬だろうと、一緒にいれば特別な存在になるわけですけど、暮らしていくとそういう特別を超えて特別な存在になる。僕は、猫には神様がいる、神様がついていると思っていますから(笑)」(保坂さん)

今の東京で、江戸から現在、猫に思いをはせられる場所

東京には、猫にまつわる歴史を感じられる名所があります。中でもおすすめなのが、東京・世田谷区にある「大谿山 豪徳寺」です。彦根藩主・井伊家の江戸における菩提(ぼだい)寺である豪徳寺には、井伊直孝が、お寺の門前にいた寺の住職の愛猫「たま」に手招きされ、立ち寄ったことで雷雨の難を逃れたという伝説が残っています。

豪徳寺は直孝によって1633(寛永10)年に再興され、その後、福を招いた猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、お祭りする「招福殿」が建てられました。堂内には招福観音菩薩坐像が安置され、家内安全、商売繁盛、開運招福を願うたくさんの参詣者が訪れています。

東京・世田谷区にある「大谿山 豪徳寺」

豪徳寺では、三重塔に施された十二支の彫り物に飾られた猫や、奉納された招福猫児など、広い敷地をのんびり散策しながら“猫探し”をしてみるのも妙案です。

また、江戸に思いをはせながら、人々と猫との暮らしを垣間見るには、やはり浮世絵を楽しむのがおすすめです。東京・原宿にある「太田記念美術館」は、都内でも有数の浮世絵専門の美術館です。約1万5000点のコレクションを持ち、企画展によって猫が描かれた浮世絵を見られることもあります。ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

東京・原宿にある「太田記念美術館」。人通りのさかんな竹下通りの裏に、ここだけひっそりと静かな時間が流れている(提供:太田記念美術館)

(文・川本央子/撮影:猪又正男、岡崎健志)

参考文献:『文豪の愛した猫』(イースト・プレス)

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