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犬をなでる徳川綱吉。月岡芳年『徳川累代像顕』より部分(提供:中野区)
episode.3

日本最古のシェルター? 徳川綱吉、慈悲あふれる「御囲」から動物愛護を知る

2022.11.30

生き物を大切にするための数々の法令を総称した「生類憐(あわれ)みの令」で知られる江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉(1646~1709)。「犬公方(いぬくぼう)」と揶揄(やゆ)されることもありますが、現代ではその解釈が変わりつつあるといいます。数ある綱吉の政策の中でも、江戸周辺の各地に設けた、野良犬や傷ついた犬を収容する「御囲(おかこい)」は、日本最古のシェルターともいえるような、愛情にあふれた保護施設の側面も持っていました。綱吉の政策をひもとくと、東京には江戸の時代から、現代に通じる動物愛護の精神が根付いていたことがわかります。

犬が自由に歩き回り、多発した交通事故

江戸時代のはじめごろまで、江戸にはまだ犬は多くありませんでした。ところが1657年の明暦の大火後の復興とともに町の景気がよくなり、食べ物も豊富になったことで徐々に犬が増えていったといわれています。元禄以前には、個人の飼い犬よりも町全体で養われている「町犬」の方が多く、路上では「大八車」という物を運搬する車に犬がひかれる事故が多発していました。そのため、幕府から「大八車、牛車による犬の事故防止」と、「飼い主のない犬にも食事を与え、生き物を憐れむこと」というお触れが出ます。

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菓子屋の店先で放し飼いにされた子犬たちを描いた『深川佐賀町菓子船橋屋』歌川国芳(提供:江戸東京博物館)

「生類憐みの令」の始まりは諸説ありますが、それ以降「捨て犬禁止」「将軍が通る時に犬や猫をつながなくてもよい」「いなくなった犬は探し出すように」などさまざまな法令が出されるようになりました。その真意を、日本近世史学者の大石学・東京学芸大学名誉教授はこう話します。

「これらの令に背くと重い罰が与えられたため、人間には厳しい制度だったといわれることがあります。しかし、徳川綱吉は犬猫などの動物だけに限らず『捨て子禁止』『行き倒れ人の保護』など、人間も含む生きとし生けるものを大切にせよと命じたのです」

徳川綱吉というと、どうしても“犬好きのお殿様”という印象だけが先行しがちですが、その背景には儒教や仏教に基づいた「思いやりの精神」があったといいます。

獣医療に散歩、おやつまで。犬の収容所「御囲」

綱吉は母・桂昌院の影響もあり、信心深く育ちました。学問にも熱心に取り組み、江戸湯島に聖堂を建て、儒学の講義を自ら行うこともありました。当時は戦国時代から続く殺伐とした気風の中で、生き物をあやめたり病人やけが人を簡単に見捨てたりする風潮がありました。綱吉はそんな世の中に仏教や儒教の精神を根付かせることで、仁や慈愛にあふれた社会を目指したのです。綱吉の政策の一つである、野犬や病気になった犬を収容する「御囲」という小屋も、動物愛護の思想により作られたものでした。

しかし、犬を大切にせよというお触れが出たことで、江戸の町には次第に野犬が増えはじめました。人を襲う事件も多発しましたが、危害を加えるからといって犬を処分することはできません。そこで幕府は「御囲」を各地に設けることにしたのです。

中野に設けられた巨大な御囲の図。「御囲平面図」1697(元禄10)年(提供:中野区)

まず初めに、現在の世田谷区喜多見(きたみ)に病気の犬のための御囲が建設されました。当時の勘定所記録『竹橋余筆(ちっきょうよひつ)別集』によると、1692(元禄5)年の1日平均で、約39匹の犬を16〜17人で、手厚く世話をしていたとあります。

「多摩川の土手を散歩させ、病気の犬は獣医師に見せるなど、建前だけではなく本当に大切に保護されていたことがわかっています」と大石名誉教授。また、散歩の時にはゴマメ(カタクチイワシの乾製品)を持参していたそうで、現代と同じくおやつまであげていたというエピソードからも、いかに好待遇だったかがわかります。その後、より大規模な施設が必要になり、新宿区大久保、四ツ谷、中野区中野に次々と御囲が造られていきました。

現代のシェルターに通じる動物愛護の精神

中野の御囲は、現在の中野区がすっぽり入ってしまうほどの大きさで、一説によると約10万匹もの犬が収容されていたといわれています。現在のJR中野駅付近、中野区役所、東京警察病院、早稲田大学、明治大学、帝京平成大学などを含む一帯に、五つに区切られた巨大な御囲が存在しました。犬の運び込みは専用の「犬駕籠(かご)」が使われ、中に仕切りをつけて2匹用にしたものもあったそうです。

竹で編んだかごに棒を通して担ぎ、犬を運んだ「犬駕籠」(複製/提供:中野区)

餌は白米や魚などを調理して食べさせ、夏場にはノミやダニなどがわくため、櫛(くし)に油をつけて毛をすき、夜には見回りもして、様子がおかしい犬がいると御犬医師を呼ぶなど、管理が行き届いていました。

「飼い主のいない犬や病気の犬、弱った犬、どんな犬も差別せず平等に養った御囲というのは、先進的な政策だったと思います。動物愛護の精神に基づいた、日本で最初のシェルターと言っても過言ではないでしょう。また、国家が予算をつけて、また法令に基づいて実行しているという点は、現代において改めて注目すべきことだと思います」(大石名誉教授)

生類憐みの令廃止後もなお残る、綱吉の意思

1699(元禄12)年、御囲の犬を周囲の村へ預けるという新たな政策が施行されます。預け先は福生市や神奈川県厚木市、埼玉県所沢市など広範囲にわたりました。中野の犬のうち、病犬や老犬、子犬を除いた大半の犬を江戸近郊の百姓が引き取ったといわれています。

「犬を預ける際、村民に養育費が前金で支払われました。この養育費は綱吉の死後返済が命ぜられ、熊川村(現・福生市)は約50年かけて返済したという記録が残っています」と中野区区民文化国際課文化財係の比留間絢香さん。このことから、養育費の返済は庶民にとって重い負担だったことがうかがい知れます。

中野犬養育貸付金請取証。左端に「熊川村」と記載がある。『石川家所蔵文書』1757 (宝暦7)年(複製/提供:中野区)

1708(宝永5)年、綱吉は病に倒れます。死の直前、後継ぎである第6代将軍・徳川家宣に「自分の死後も生類憐みの令を続けてほしい」と遺言していました。しかし家宣は、翌年の綱吉死後即座に生類憐みの令を廃止し、多くの処罰者が赦されました。厳罰に苦しむ民衆や窮迫する財政を考えての判断でしたが、一方で家宣は、「生類を憐む精神は継続するように」というお触れを出しました。

御囲も解体され、批判の的だった厳しい処罰もなくなったわけですが、「生き物を大切にする精神」はなぜ現代まで消えずに残ったのでしょうか。

「それは、綱吉の思想に人々が共鳴したからだと思います。思いやりの精神が後世まで続き、今では当然のこととして定着しています。元禄時代以前、犬は人々にとって食料でもありました。しかし、綱吉の政策以来、犬食はご法度となり、それは今も人々の意識として続いています。当時としては非常に近代的な側面を持った政策で、社会が大きく文明化することになったのです」(大石名誉教授)

御囲の跡地で犬たちに思いをはせる

江戸中期、第8代将軍・徳川吉宗は、「生類憐みの令」発令以降中断していた「鷹(たか)狩り」を復活させます。鷹狩りをしに中野を訪れたところ、御囲の「五の囲」跡地付近が気に入り、この地に桃の木を植えました。たちまち江戸の人々の花見スポットとなり、その美しさは『江戸名所図会 桃園春興』にも描かれています。

現在、中野区に御囲の遺構は残っていませんが、区役所前には御囲があったことを示す犬の像と説明板が設置されています。また、中野4丁目付近の旧町名「囲町」は御囲に由来していているほか、中野3丁目にある『中野区立囲桃園公園』は、「御囲」と「桃園」を融合させた名前がつけられているなど、歴史の痕跡が所々に見られます。

中野区役所前に設置された犬の像。御囲の中で大切に養われていた、かつての犬たちの姿を彷彿(ほうふつ)とさせる(撮影:岡崎健志)

中野区江古田にある『中野区立歴史民俗資料館』には、前出の犬駕籠や犬養育貸付金請取証の複製が常設展示されています。綱吉が愛用したとされる犬の形をした湯たんぽの複製などもあり、御囲に関するさまざまな資料を見ることができます。(湯たんぽは徳川家光のものという説など諸説あり)

「生類憐みの令」は、先に述べたように民衆の不平不満や経費増大への批判も多くありました。それでも綱吉は、徹底して生き物を保護する政策を続けました。

「綱吉は慈悲薄い世の中を憂え、生き物の命を大切にするという新しい価値観の社会への転換を促したのです。病気の犬や弱者なども区別なく保護し共生する政策は、優劣をつけて選別しがちな現代社会にとって、実は最も必要な思想かもしれません」(大石名誉教授)

生き物に対する意識の改革を経て、今や犬猫は家族の一員となりました。東京では、動物保護団体による保護犬猫の譲渡会活動も盛んに行われています。はるか江戸の昔から、全国に先駆けて動物愛護の精神を広めてきた東京。改めて徳川綱吉の政策を知ると、この先さらに、いぬねこ最先端都市として、人間と動物が共に生きる未来をつくっていくことの大切さが感じられます。

(文・野口ひとみ)

参考文献:『生類憐みの令の真実』仁科邦男/草思社、『一冊でわかる江戸時代(世界のなかの日本の歴史)』大石学/河出書房新社、『趣味どきっ!浮世絵で体感!リアルな江戸LIFE』NHK出版

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