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episode.1

「会いたい」と思う気持ちは万国共通 世界で愛される犬・ハチが今に伝えるストーリー

2022.10.31

東京の最先端のカルチャーが集まる街、渋谷を象徴する犬が、ハチ。国内でたびたび映画や本、お土産品などのモチーフになってきただけでなく、2009年にはハリウッドでも『HACHI 約束の犬』として映画化されました。100年前の東京で暮らしたハチが、なぜ今も世界中で愛されているのでしょうか。ハチの生誕から現在までを時系列で追いながら、その魅力を探ると、100年間変わることのない、人と動物との深い絆が見えてきました。

犬といえば番犬の時代に、大事にされていたハチ

ハチは1923年11月、秋田県大館市生まれ。生後2カ月のころ、秋田犬を迎えたいと思っていた東京帝国大学農科大学(現:東京大学)教授の上野英三郎先生が譲り受けました。当時の東京は、まだ街中に野良犬も多く、飼い犬と言えば番犬。犬は外で飼うのが当たり前で、上野先生の家にすでにいた先住犬の2匹は、家の裏庭の犬小屋で生活していました。ところが、ハチは体が弱かったこともあって、ハチの犬小屋は上野先生の部屋の縁側を出たすぐ脇にあり、家にもよく上げていたようです。

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東京大学農学部正門を入って左手にある「ハチ公と上野英三郎博士像」は、海外からの観光客も見に訪れる

「上野先生の教え子が書いたものに、『先生の家に行っていちばん困るのは、ハチが先生との話の邪魔をすること。ヤキモチを焼くのか、話しているときに間に入ってきたり、さらに困るのはそこでウンチしちゃったりして、大変だった』というような記述が残っています。ハチはまだ子どもだったので、そういういたずらをしてしまったのかもしれませんね」と、『白根記念渋谷区郷土博物館・文学館』で特別展「ハチ公展」を担当した、学芸員の松井圭太さんは話します。
このエピソードだけでも、ハチがいかに上野先生から愛されていたかがよくわかります。ところが、ハチと上野先生の幸せな生活は、長くは続きませんでした。

「長く帰ってこないときはきっと渋谷駅」そう思い続けた

1925年5月21日、ハチはいつも通り、渋谷区松濤の上野先生宅から帝大駒場キャンパスまで、上野先生と一緒に歩いていって、先生を見送りました。ところが、上野先生は昼ごろに大学で倒れて、そのまま帰らぬ人となってしまいます。先生と暮らし始めてから、まだ1年半も経っていないときでした。
上野先生と一緒にハチをかわいがっていた八重夫人は、屋敷を去らなければならなくなりました。ハチは、日本橋の呉服店、浅草の親戚の家、世田谷の八重夫人の小さな家と転々とし、4歳のとき、渋谷駅にほど近い場所に住んでおり、上野先生の屋敷に出入りしていた植木職人・小林菊三郎さんの家に落ち着きます。このころから、毎日朝と夕の渋谷駅通いが始まります。

左耳が垂れている、晩年のハチ(『ハチ公文献集』林正春 編、1991年より)

ところで、松濤の自宅から帝大駒場キャンパスまで徒歩で通う上野先生を、大学の門の前まで送迎していたハチが、なぜ渋谷駅で上野先生を待っていたのでしょうか。
「上野先生は日本の農業土木学を作り上げた人なので、その普及や発展のために全国へ講習に行ったり、ときには朝鮮や中国へ農地改良のために行ったりと、出張が多かったのです。そして、そういうときには渋谷駅を使っていました。ハチは賢い犬だったと言われているので、先生が何日も帰ってこないときは、渋谷駅に行けば会えると思っていたのではないでしょうか」(松井さん)
しかし、当初は渋谷駅を利用する人みんなが、毎日改札の真ん前にじっと座っているハチを大切に扱っていたわけではなかったようです。

きっかけは1本の小さな新聞記事だった

毎日朝9時と夕方16時、ハチは渋谷駅の改札前に座り、改札口から出てくる人々の中に、上野先生の顔を探し続けました。渋谷駅はちょうど混み合う時間帯で、改札を出てすぐの場所に座る体の大きなハチは、当然通る人の邪魔になります。ところが、駅員さんが力任せに引っ張っても、ハチは動きません。中には、「邪魔だ!」と蹴り飛ばす人や、どかすために道路に水をかける人、ふざけて顔に落書きをする人も。
そのことに心を痛めた『日本犬保存会』初代会長の斎藤弘吉さんは、新聞に投稿をしました。それが直接、記事掲載のきっかけになったかどうかは不明ですが、「いとしや老犬物語 今は世になき主人の帰りを待ち兼ねる七年間」という記事が東京朝日新聞に載ったのです。渋谷駅通いを初めて5年が経った、ハチ8歳のころのことです。

ハチフィーバーを巻き起こした新聞記事。本記事には「秋田雑種」と書かれているが、4日後に「純種」との訂正記事が出された。なお、ハチの年齢が「十一歳」となっているなど、他にも事実と異なる部分がある(1932年10月4日、東京朝日新聞の朝刊に掲載。承諾番号22-2607。朝日新聞社に無断での転載を禁じます)

記事が出た翌日には、状況が一変。「なんて賢い、素晴らしい犬なんだろう!」と称賛の目が注がれ、ハチの前には、ハチをなでたい子どもたちの順番待ちの列ができました。さらに、「寒いから温かいものでも食べさせてあげてください」という手紙とともにお金が送られてきたり、子どもたちが自分のおこづかいを送ってきたり、全国から渋谷駅あてにお金や食べ物などが送られてくるようになります。当時、渋谷駅の駅長さんはハチの対応で手一杯だったという逸話があるほど。

1934年4月21日、渋谷駅前のハチ公像の除幕式(朝日新聞社提供)

「もうハチ公大フィーバーです。渋谷駅前は『ハチ公せんべい』や『ハチ公丼』といったハチ公関係の食べ物やグッズがたくさん売られ、ハチの話を語る浪曲や童謡のレコードが出るなどしました。さらには、ハチの美談を後世に残そうと、寄付によって銅像が立てられることになったのです」(松井さん)
1934年に設置されたハチの銅像は、戦時中に金属類回収令によって、武器生産のための金属として供出されたものの、戦後すぐに再建されます。1987年には松竹の映画『ハチ公物語』、2009年にはハリウッドでも『HACHI 約束の犬』が作られるなど、その後もハチの人気が衰えることはありませんでした。

ハチへの評価の見直しが進んだ、この10年

「渋谷区の文化財の仕事をしていると、ハチについてのお問い合わせが常に月に何回かぐらいきていました。けれども、ハチに関するしっかりした記録や記述はほとんどなくて、あやふやな回答しかできていなかったんです。そこで、一度ハチのことをとことん調べて、その結果を展示にしようということになりました。200人以上の関係者やハチを見たという人に話を聞いたり、写真や資料を集めたりした末に、開催したのが特別展『ハチ公展』です」と、特別展を担当した松井さんは話します。
2013年10月〜2014年1月に開催された白根記念渋谷区郷土博物館・文学館のこの展示には、子どもからお年寄りまで、北海道や九州など遠方からも、多くの人が訪れました。中には、決して広くはないこの博物館に、2度、3度と足を運ぶ人も。「またはっちゃんに会いたくて来ました」「来るたびに涙が出ます」といった感想がたくさん寄せられたといいます。

宮下公園内に設置されたパブリックアート「渋谷の方位磁針|ハチの宇宙」。渋谷を象徴しながらも、あらゆる世界とつながっている特別な存在として、ハチの像が中心にいる

2015年、ハチ没後80年には、上野先生の勤務先だった東京大学農学部のある弥生キャンパスに「ハチ公と上野英三郎博士像」も立てられました。渋谷駅前のハチ公像がハチ単体であるのに対して、東大の像は上野先生とハチが渋谷駅で会って戯れ合う、心温まるシーンが切り取られています。
「“忠犬”ハチ公とよく言われますが、『忠義』というのは道徳的な言葉で、犬に道徳はあり得ないので、実態にそぐわないと思います。ハチは飼い主に忠実だから渋谷駅に通ったわけではなくて、子犬のころから大事に育ててくれた上野先生が大好きで、会いたくてたまらなくて通ったわけですよね。そんな『人と動物の相互敬愛の象徴』として、この像は建立されたんです」と、東京大学大学院農学生命科学研究科の塩沢昌名誉教授は話します。

身近で親しみやすい特別な銅像

現在の東京には他にも、ハチの痕跡が各地に残っています。ハチの剥製(はくせい)は台東区の国立科学博物館に、ホルマリン漬けにされた内臓は東京大学農学資料館に展示されており、港区の都立青山霊園内にある上野先生の墓の区画には忠犬ハチ公の碑も立っています。また、2020年に整備された新・宮下公園内にも、鈴木康広さんによるパブリックアート「渋谷の方位磁針|ハチの宇宙」が展示されました。
渋谷のお土産のモチーフとしても定番で、中でも「ハチ公ソース」は1946年から続くロングセラー商品。より手軽なお土産として「ハチ公ソースせんべい」も登場しています。
なぜハチは、年月や国境を超えて、ここまで愛され続けるのでしょうか。

秋田県出身の創業者が、ハチの生前から渋谷で商いをしていたことから、「ハチ公ソース」と名づけた。渋谷のスーパーマーケットやオンラインストアで購入できる

「特別展に来てくださった方々のお話を聞いていると、多くの方が自分と犬との思い出を重ね合わせて、感情移入されているようでした。それだけでなく、例えばご家族など大好きな人と死別などで離れ離れになってしまい、会えないとわかっていても会いたいと思い続ける気持ちは、誰もが経験したことがあるのではないでしょうか。そういう自分の思いを、ハチの姿や行動に重ね合わせるので、多くの人の心を打つのではないかと思います」(松井さん)
有名な芸術作品でもなく、偉業を成し遂げた英雄の像でもない、1匹の犬の銅像と一緒に写真を撮ろうと、今も世界中の観光客が渋谷を訪れて列を作ります。ハチ公像の足の部分は、1948年に再建されて以来たくさんの人に触れられて、地金が出てピカピカに光っているほど。これほど親しみを持って触られる銅像は、世界中探しても他にないのではないでしょうか。ハチのストーリーは、文化的にも観光的にも、何にも代えがたい渋谷の、ひいては東京の財産と言えるでしょう。

(文・山賀沙耶/撮影・岡崎健志)

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